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名古屋地方裁判所 昭和41年(ソ)6号 決定 1967年1月16日

抗告人

伊藤悦治

代理人

大場民男

相手方

成影千治郎

主文

本件抗告を却下する。

理由

一、抗告代理人が、原決定の取消を申立てる理由として述べるところは、次のとおりである。

裁判前の和解について、民事訴訟法第三五六条が「民事上の争」と言つている意味は、法律関係の存否、内容、範囲に関するものに限らず、権利実行の不安全な場合をも含むものと解すべきところ、原決定は、右にいう「争い」の意味を、法律関係の存否、内容、範囲に関するものに限るものと解釈し、本件申立を却下したもので、原決定は同条の解釈を誤つている。

又、原決定が、本件和解申立書に、同条の定める「請求の趣旨および原因並びに争いの実情」の表示に不備があることを理由に、本件申立を却下したとすれば、なんらの釈明および求問もなさずに却下したのは性急であり、民事訴訟法第一二七条の精神に反し違法である。

なお、原決定は、公正証書作成の代用としての起訴前の和解について触れているが、金銭貸借なら格別、本件の如く建物の明渡しについては、公正証書には執行力がないのに比し、和解調書にはそれがあることにおいて、両者には雲泥の差があることに鑑みるとき、原決定が和解について如何に誤つた考えを抱いているか推察される。

二、当裁判所の判断

民事訴訟法第三五六条にいう「民事上の争い」の意味について考えるに、右にいう「民事上の争い」は、法律関係の存否、内容、範囲に関するものに限るものではなく、権利実行の不完全の場合について、当事者間に争いがあつたり、和解申立当時から予測できる将来の紛争の可能性が存する場合をも含むと解されること、抗告人のいうとおりである。しかしながら、右にいう権利実行の不完全は、債権者の立場から見て、公正証書を作成しただけでは、同証書が執行力を有しないので一抹の不安があり権利実行について不便であるといつた場合まで包含するものではなく、和解申立当時において、当事者間に将来の権利の実行にあたり紛争が生ずることを予測せしめる具体的な事情がなければならないものである。抗告人の掲げる裁判例は、いずれも一旦和解が成立したけれども、和解をなした当時具体的な紛争がなかつたことを理由として和解無効を申立てた事件における判断であつて、和解申立の要件自体について直接判断したものではなく、本件の解決には適切でない。

そこで、本件和解申立てについて、申立当時前述の「争い」があるか否かについて見ると、和解申立書によれば、申立人は、本件建物を京都市在住の塗箔専門家である相手方が東別院の塗箔工事をする期間である昭和四二年一〇月四日まで賃貸し、それ以後はただちにこれを明渡すというのであつて、権利実行(明渡)について将来紛争を生ずべきいかなる具体的事情があるかも明らかでなく、又、将来紛争が発生すべきことを推認するに足る事情も別段認められない。

結局抗告人の、抗告理由は、将来相手方が本件家屋を万一明渡さないことがあつた場合にそなえて、執行力のある和解調書を取得しておきたいというに止まり、当事者間に紛争または紛争発生の可能性があるとは認められず、又このような場合に、裁判所が紛争の存在を釈明しなければならない義務があるとも考え得ない。

よつて、本件抗告は理由がないから、これを却下すべきものとし、主文のとおり決定する。(山口正夫 渡辺公雄 戸塚公二)

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